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​このスペースでは、主催の蒼井がチームのコンセプトや結成するに至った経緯をお伝えします。

ご興味ありましたらお読みください。

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昔は廃人でした

物心ついて間もない頃、任天堂からファミリーコンピューターが発売。スーパーマリオに夢中になった私は、その後、小学生でFINAL FANTASY3に出会ってからというもの、青春時代の大半をFINAL FANTSYシリーズと共に過ごしました。振り返ると、私の人生の半分くらいはゲームで遊ぶ時間だったように思います。

二十歳を過ぎてもゲーム熱は冷めやらず、友人の誘いでパソコンを購入し、UltimaOnlineをはじめることになりました。

それまでゲームは、基本的に一人で遊ぶもの。もしくは、身近な友人や仲間と自宅で遊ぶものという感覚が一般的でした。けれども、パソコンのモニタの奥に存在する世界中の人たちと、インターネットを介して自在につながりながら、広大な世界を自由に冒険できるUOの世界に心酔してしまった私は、気づけばMMO中毒者に……。

ほどなくして、アメリカでサービスがはじまったEverQuest2の世界へ移り、言語も文化も違う大勢の海外プレイヤーと一緒に、大規模レイドに取り組むようになった私。気づけば、三日三晩徹夜でレベリングをし、不眠不休でワールドファーストを取ってしまうような病的廃人に成り果ててしまった時期もありました。

MMOに夢中になることでたくさんのことを失ったような気もしますが、それと同時にたくさんのことを学ばせてもらいました。特に、当時所属していたレイドギルドのリーダーは、奇遇にも私と同じアメリカ在住の日本人の方で、ゲーム界隈の「廃人」というスラングの語源になってしまったような方でした。リーダーからは英語のこと・海外でのMMO文化や風習のこと、長期レイドでのモチベーションの保ち方など、たくさんのことを教えてもらいました。​​​​​​​​

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楽しい空間がポテンシャルを引き出す

海外サーバーで多民族が集まっているコミュニティだったからか、そのとき所属していたレイドギルドは、プレイヤ間のコミュニケーションが活発で、レイド以外のこともすべてメンバーと楽しんでいくという意識が、全員に浸透していました。また、YouTubeのような動画サイトも存在していない時代のことですので、各ギルドが良い意味で閉鎖的で、レイドの攻略方法も門外不出といった場面が多かったです。なにもヒントがない状態からすべて自分たちで組み立てていける環境がとても楽しかったのを覚えています。メンバーも「自分たちならではの攻略方法や楽しみ方をみんなで見つけていこう! そして、あっちのギルドよりも先にクリアしよう!」という士気がとても高く、コミュニティ内の結束やメンバー同士の団結が高かったのを今でもよく覚えています。

そして、何年にも渡って、同じ仲間で複数のエンドコンテンツにチャレンジしていたあの日々は、毎日のように刺激や興奮、成長を得られる冒険の連続でした。

 

当時はまだボイスチャットが主流ではなかったので、リーダー以外は全員聞き専ではありましたが、毎日・毎回、レイド中にVCとチャットの応酬で、コミュニティにはいつも笑いが溢れかえっていて、ギスギスとは縁遠い世界でした。多分、あのレイドチームが一度とはいえワールドファーストを取れたのは、なによりもリーダーの洞察力と人望、コミュニティの雰囲気の良さ・メンバー全員がリラックスして自分の実力やポテンシャルを100%引き出すことのできる環境が整っていたからだと考えています。

日本でオフ会を開催したこともあり、世界中からメンバーが駆けつけてくれたという思い出は、今も忘れることができません。

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簡易化がもたらすもの

どれだけ和気あいあいとした楽しいチームも、長年活動をしていれば、必ず解散の時はやってきます。それは突然の、リーダーの死でした。

​リーダーの急逝によってかじ取りを失ってしまったチームは即座に解散。あまりに突然のできごとに動揺した私は、「こんなに楽しいチームにはもう二度と出会えない」と思い、EQ2を引退することにしました。その後しばらくは、抜け殻のようになって、なんの趣味も持たずに生活をしてたように思います。

それからしばらくして、ゲーム情報を眺めていた私の目にふと飛び込んできたのは、FINAL FANTASY XIVサービス開始のニュース。EQ2に夢中になりすぎてFF11をパスしてしまった私は、青春時代に楽しんできたシリーズの新しいMMOなら遊んでみたい! と思い、たった一人でエオルゼアに降り立ちました。

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今は、社会的にも経済的にも仕事や日常生活に忙殺されてしまう方が増えており、MMO以外にも魅力的なゲームや趣味がたくさん溢れかえってるので、多くの人の、ひとつの趣味に集中して割く時間が大幅に減少していると聞いたことがあります。だから、当時のUOやEQ2のように、たくさんの時間を一か所に集中させなければいけないスタイルのMMOは流行らないと……。

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確かにFF14も、時間のない社会人でも気軽にプレイできる優しいデザインになっていると思いますし、それが、サービス開始から10年以上が経過した今でもなお、多くのプレイヤを魅了し続けている理由のひとつであることは確かです。

 

ただ、その反面、MMOシステムとしての簡素化や効率化が進んだことによって、昔のような、複雑で不便だからこそ生まれたプレイヤー同士の濃密な交流や強い団結、達成感や楽しさ、良い意味でのスリリングなゲーム体験が感じにくくなってしまったような気もします。プレイヤー個人がゲームを構成するパーツのようになったことで、昔以上に、ゲーム内外でのいさかいやギスギスが増えているなあと感じることもあります。

もちろん、昔から人間関係のギスギスはどこにもありました。それは、MMOであれ実社会であれ変わりません。人間はいつの時代も自己中心的でわがままな生き物ですし、人間関係の悩みだって今も昔も本質的には同じです。

 

ただ、インターネットが普及することでSNSが一般化して、多くの人が自己発信をするようになって(受信者がいなくなって)から、そういった人間の持つ負の側面が、そこかしこで増大しているような気がしています。

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ギスギスを加速させる『市場型』

おそらくそれは、SNSで簡単に人と自分を比較されしてしまう(比較できてしまう)情報環境が当たり前になって、他人への嫉妬や自分への劣等感が助長されてしまったり、顔の見えないネット上のコミュニケーションは抑制が効きづらいので、普段より安易に他人を攻撃する人が増えてしまったり……。といったことが原因のように思います。

インターネットの発達で、昔よりも人との交流を得やすい反面、自分にとってメリットがあるかどうか、コストパーフォーマンスに優れているかどうかで、相手と関係を結ぶかどうかを決める『市場型傾向』が強まっているから、人との深いつながりが薄れているという指摘をされている方もいます。

 

心あるはずの人間を、目に見える数字上のスペック(年収とか身長とか)だけで評価して、他人をモノや商品のように扱う価値観を『市場型』というのだそうです。FF14でも、「こいつは火力が高いから~」とか、「あいつは6絶クリアしているから~」といった、目に見える数字や実績だけで遊ぶ仲間を評価するのも、ある意味『市場型』の価値観と言えるかもしれません。

市場型はとても効率が良いのですが、自分よりもスペックの高い人が現れると、すぐに挿げ替えられてしまうというデメリットもあります。私は、そういった冷酷な人間関係には興味のないタイプです。

なかには、経済的にも社会的にも精神的にも追い詰められて、どうしようもない不幸や孤独を感じているから、他人が幸せそうなのが許せない。理由はなんでもいい、相手は誰でもいいから、とにかく他人を攻撃したい・貶めたいという、ねじれた憎悪をもった方さえいると聞きます。​

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FF14も、ゲームを介したSNSのような側面もありますから、簡単に人とつながったり、仲間や友だちになった気分になれる一方、互いが互いを、自分の利益のために利用しあっている間柄の場合は、利害が一致しなくなった途端大ゲンカになったり、不穏な空気でギスギスしてコミュニティがあっという間に解散してしまうという話も耳にします。「ぜんぜん楽しくはなかったけど、このコンテンツはクリアしたかったので仕方なく我慢して固定でプレイした」「クリアできなかったけど、つまらない固定が解散になってせいせいした」という、寂しい声を聞くことも少なくありません。

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もちろん、趣味に取り組む姿勢や価値観は人それぞれですし、いろいろな遊び方ができるのがFF14の良いところなので、どう遊ぶかは自由だと思います。

 

ただ、私がレイドを目的としないレイドチームという、かなり特異で突飛な

ONE FOR SEVEN《17》を立ち上げたのは、昔、自分がUOやEQ2で経験した、いざこざやギスギスとは無縁。どんなコンテンツもチームメンバーみんなで団結して、楽しく遊ぶ! というあの頃のコミュニティを、今風のアレンジで再現したかったからです。

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レイドの持つ魔力

目的が「クリア」ではなく「みんなで楽しく遊ぶこと」であれば、仮にレイドがクリアできなくなりそうでもギスギスはしません。私が昔所属していたレイドチームも、そういう雰囲気のある楽しい場所でした。他人をむやみやたらに攻撃する人なんてもちろんいません。そして、ONE FOR SEVEN《17》も、過去に異聞アロアロ島 零式を突破したときは、時間こそかかったものの、ギスギスすることは一切なく、今でも良い思い出となっています。

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「いまどき古くさい考えだな」「たかがゲームでめんどくせー」と思われる方も多いかと思います。でも、考え方に古いも新しいもありません。今も昔も、どうせ趣味を遊ぶなら、楽しい仲間と一緒に笑って取り組むべきだというのが私の考えです。

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とはいえ、零式や絶といった高難易度レイドは、本当に難しいものです。いつもは穏やかなはずのあの人も、レイドになった途端、脳内麻薬アドレナリンの影響で興奮して鼻息が荒くなってしまい、気づけば「鬼の形相」や「マウントおばけ」、「承認欲求モンスター」に成り果ててしまう……。そんな危険な魔力をもっています。

ほんの少しでも「人に勝ちたい」とか、「早くクリアしたい」とか、「自分の実力や経験、知識を披露・自慢したい」とか、「どうせ私なんて下手くそなプレイヤーだし……」などの傲慢でネガティブな考えや気持ちを持っている人がひとりでもいると、あっという間にチームの雰囲気はギスギスするでしょう。正直な話、私たちのコミュニティも常に順風満帆ではなく、そういう悲しい出来事やトラブルは過去に何度もありました。

チームの目的は「楽しく笑って遊ぶこと」で、レイドは手段のひとつ。それなのに、レイドになると、なぜか目的と手段を逆転させてしまって、「クリアすること」に夢中で、ギスギスした言動で仲間を傷つけててしまうという悪例をたくさん経験してきました。

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それだけ高難易度を攻略しながらも、みんなで楽しく笑って遊び続けることは難しいのです。

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すべては理屈でできている

では、今の時代、ゲームで「楽しく笑ってレイド」の目的を達成することは不可能なのでしょうか。私はできると思っています。そのためのヒントやポイントは、このサイトに散りばめたつもりです。それさえできれば、たぶん、楽しく笑ってレイドを継続することが可能なはずです。

「こんなルール、おれら低能のコミュ障ゲーマーには無理でしょwww」

そんな否定的な声も聞こえてきます。確かに長い間、軽薄な「市場型」の環境で生きてしまったり、自分の利益のために他人を利用してきてしまった人に、突然「スペックで人を見るのはやめましょう」とか、「仲間を思いやってくださいね」とお願いしても、理解してもらえないし、無理だと思います。

でも、この世のすべては理屈でできています。

​ゲームのプログラムもレイドのギミックも、すべて理屈で組み立てられているので、その中身を理解して何度も反復練習すれば、いずれ必ず攻略できるようになります。

 

それと同じで、人の気持ちや心も、人間関係がギスギスするのにも、必ず理屈や理由があります。コミュニケーション能力は技術なので、はじめはわからなくても、理屈を理解して毎日欠かさず練習すれば、いずれは人の気持ちを理解したり、他人を思いやれるようになります。コミュニケーション能力を育てるのも、ゲームのプレイスキルを向上させるのも、実は理屈や過程はまったく同じなんです。ちゃんと練習を継続すれば、誰でもできるようになります。

ONE FOR SEVEN《17》では、レイドの予習やゲームのプレイスキルをあげるための練習と同じように、一緒に遊ぶ仲間のことを知っていこう。人の気持ちや心も少しずつわかるように、みんなで勉強していこうと共有しています。

そんなことゲームに関係ないと思われる方も多いでしょう。確かにそうです。ただ集まって練習してクリアするだけなら、一緒に遊ぶ人のことなんて考えなくても問題ないと思います。そのほうが余計なことを考えなくて済むので楽ですし。

でも、チームの目的は

「みんなで楽しく笑って遊ぶこと」

気の置けない間柄でなければ、リラックスなんてできませんし、​高難易度を楽しく遊ぶこは到底できません。

​ゲームの外でも中でも、そもそも人が、「ああ、またこの人と会いたいな」「明日もこの人たちと一緒にで遊びたいな」と思う一番の瞬間は、「相手が自分のことをちゃんと理解してくれる人なんだ」という安心感を得たときです。

特定の仲間たちと、長く一緒に楽しく遊び続けるには、相手のことを知って思いやることが不可欠だと思うのです。

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「進む」ではなく「戻る」だいじさ

繰り返しになってしまいますが、今は昔と違って、ヒトや社会がインターネットによって大きく変えられてしまったので、自分の目的や利益さえ達成することができれば他人なんてどうだっていいと思っている人が増えました。(もちろん、すべての人がそうではないです。)

そして、本当はそう思いたくないはずのに、世間の風潮や周りの同調圧力によって、仕方なくそう思わされているうちに、いつの間にか元に戻れない状況まで追い込まれてしまった人もたくさんいるでしょう。

そんな今だからこそ、昔のような、古き良き、泥臭くも生々しい仲間とのつながりやを取り戻す。ONE FOR SEVEN《17》は、そんな取り組みに価値を感じています。

誰にでもできることではないからこそ、それを達成したときに価値が生まれます。

いつでも必ず、新しい道を進むことばかりが正しいとは限りません。​​むしろ、今まで来た古い道のりを振り返って、元居た良い場所へ戻るという選択のほうが正しいということも多いです。

ものすごく大変で時間のかかる道のりです。

うまくいかないこと、失敗もたくさんあるでしょう。

 

でも、失敗は次を良くするためのデータでしかありません

 

毎日がトライ&エラー。三歩進んで二歩下がるの姿勢で

失敗からいろいろと学びながら、ゆっくり一歩ずつ進んでいきましょう。​​

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チームの付加価値

ONE FOR SEVEN《17》の取り組みが、FF14の世界ではかなり特殊で異質なものであることは自覚しています。

「たかがゲームなのに厳しくない?」

と言われることも多いです。

しかし、チームとしては、この活動や取り組みに参加して良い仲間と巡り合うことで、日常の生活にもちょっとした潤いや変化を感じるような、メンバー個々人の成長のきっかけを掴んでもらえることを、付加価値のひとつとして考えています。

今までは知りえなかった情報に触れる驚き。

本音で話せる仲間とつながる楽しさ。

みんなで食卓を囲むことの喜び。

良いコミュニティに所属できる安心感。

そういったことを感じられる場所づくりを心がけています。

新しいことにチャレンジして成長するには、必ず不安や苦しさが伴います。うまくいかないことも多いでしょう。毎日必ず楽しく笑って過ごせるとも限りません。

「ただ気楽に楽しみたいだけのゲームなのに、なんで辛い思いをしなければいけないの?」

と思われる方も多いでしょう。そういうプレイスタイルも良いと思います。

でも、さらに大きな楽しさや成長を得るには、苦労や辛さも必要です。

 

そして、最初に苦労しておけば、あとで必ず楽しさが待っています。

​私たちは、目先の小さな安楽を選ぶより、未来の大きな楽しさを得るための努力や苦労を、自ら進んで選択できるプレイヤーであり続けたいと考えています。

​そのひとつひとつの選択が、他人を思いやる温かい気持ちをつくり、最後は「楽しく笑って」を達成する一番の近道だと確信しているからです。

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私のこと

Knowing is not enough, we must apply. Willing is not enough, we must do.

Simplicity is the key to brilliance.

If you love life, don't waste time, for time is what life is made up of.

To hell with circumstances; I create opportunities.

Be like water making its way through cracks. Do not be assertive, but adjust to the object, and you shall find a way around or through it. If nothing within you stays rigid, outward things will disclose themselves.

Empty your mind, be formless, shapeless, like water. If you put water into a cup, it becomes the cup. You put water into a bottle, it becomes the bottle. You put it in a teapot, it becomes the teapot. Now, water can flow or it can crash. Be water, my friend.

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